ギターなんて始めなければ良かったのか

自分の場合、ある分野に対してなまじ知識や技術が着いてくると、その分野のあるものを見たとき、純粋に見据えることが出来なくなってしまいがち。


何だかんだでギターを触るようになって5年以上経ち、そこそこある程度のことが出来るようになったつもりになった今現在。


好きな音楽を聴くと、「良いなぁ」とは思うんだけど、それと同時に「自分も弾いてみたい」という思いが出てきて(俗に言う「耳コピ」)、すると、「ここはどう弾いているんだ?」というフィルターが耳にかかり、ギターの音だけに集中してしまうために、歌声や歌詞、グルーヴといったものをないがしろにしてしまいがちになる。


そして、ある程度その曲の構想を把握すると、弾けるようになったことの感激のあとで、やれこの曲はパワーコードばかりだとか、やれこのフレーズは複雑だとか、やれあのエフェクターを使っているな―…といった、極端に言ってしまえば「簡単か難しいか」という考えが強く前に出てしまう。弾き手としては重要なことかもしれないけど、聴き手としては全く無用の産物が出てきてしまう。


以前は素直に良いと思っていた曲でも、今その曲が自分で弾けるようになってたりすると、「簡単じゃん」とか少し侮りがちになっている。思えば凄く失礼なこと。




簡単だろうと難しかろうと、良いものは良い―素直にそう思える耳を取り戻せたらな…。純粋な聴き手になりたい。そうすれば、もっと音楽を楽しめるんじゃないだろうか。




ライブ前の曲の聞き込みやエルレの活動休止、待ちに待ったKARENの初音源リリースなんかがあったからかな…。前から薄々は感じていたことだけど、今になってその思いが強くなった。




7月に時雨と9mmのツアー見てきます。純粋に楽しむために。

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〜追記〜
まぁ、5年経った今でもドヘタクソなんだけどね…なんて自己防衛。